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5月3日(火)
フエでの2日目、今日は日帰りDMZツアーに出かける。。DMZとはベトナム戦争時に南北を分ける境界線に沿って設けられた非武装地帯のことで、付近には多くの激戦地の後が残っている。
ベトナム戦争に興味がある僕としては、映画のシーンで出てきた場所を巡るこのツアーは、今回の旅の楽しみの一つでもある
早朝の6時半に出発した30人乗りくらいのツアーバス。参加者のほとんどは欧米人だが、日本人は僕を含めて6人。ホテルが一緒で関西弁の若い女性二人組。ニコンのD100で僕に負けじと劣らず写真を撮りまくっている東京の写真屋さんご夫婦。残るは、たまたま隣の席で車窓をビデオ撮影していて、その液晶画面が日本語表示だったのでお声をかけた福岡の某大学教授の方。彼はハノイでの学会の前に早めにベトナム入りをして、ホーチミンからハノイまで旅をしているそうだ。
まあ、僕自身は外国にまで行って日本人同士連みたくないという気持ちがあり、一人旅が多いのだが、、いざすぐ近くに日本人が来ると、それまで思うように話すことが出来なかった鬱憤か、とたんにお喋りになってしまう。
途中朝食(パンとオムレツだけ)の休憩を挟んで3時間ほどで一つめの見学場所ベンハイ川に着いた。ベンハイ川は南北ベトナムを分けていた境界線で、この川を中心とした10kmの間が非武装地帯だそうだ。川には当時唯一南北を往来できたと思われるヒエンルオン橋(復元?)や対岸を見張る監視塔、銃撃用の穴はしっかりヒエンルオン橋を狙っているトーチカが残されていた。このトーチカ、中に何かの糞がたまっており、暗かったせいで踏んづけてしまった。後々まで少々臭い思いをする羽目となってしまった。
次の見学は付近の住民が戦火を逃れるために掘ったヴィンモックのトンネル。非武装地帯とはいえ、いつ爆撃されるかもしれない。そんな思いで掘ったトンネルの総延長は20数kmにも及ぶそうだ。中にはいると、昨年行ったクチのトンネルとは違い、普通に立って歩くことが出来る。これはクチのトンネルが兵士のための戦闘用トンネルなのに対し、ヴィンモックのトンネルは住民が生活するためのトンネルとして作られたためであろう。実際トンネルの中には炊事場や病院、授産所なども作られていた。
普通トンネルの中というと涼しいというイメージがあるが、ここは中も蒸し暑い。熱帯の土地柄、地面の下までも暖められているのだろうか。おまけに壁や足元は濡れていて滑る。誰もが手や服を汚しながら、出口はまだかと黙々と歩いているようだった。やっとの思いで日の明かりが見え、外に出ると、そこは思ってもみなかった南シナ海が広がっていた。まるで戦場から帰還した兵士のようにほっとした気分であった。
ここには当時の写真や武器・遺品などを展示してある建物もあるが、その玄関先に米軍戦闘機の脚が展示(置いてあるだけ)してあった。僕がそれを見ていると、一人の少年が身振り手振りを加えながら片言の英語で説明をしてくれる。飛行機好きの僕としてはすぐにそれが何であるかは分かったのだが、そこは「へ〜なるほど」と聞いていた。僕が場所を移動しようとすると、彼が「マネー・マネー」と言ってくる。どうやら今説明したガイド料がほしいようだ。アジアの観光地ではよくある話ではあるが、こちらが聞いたわけではないし、見ればすぐ分かる事だし、ダメと追い払った。しかし彼もしつこいのか、僕たちがトンネル見学をして、バスに戻るまで「マネー・マネー」と付いてきた。こういう場合気持ちよく払った方がいいのか、それとも・・・。気分的にいい感じはしないので、これからは少し気をつけて、説明を始めたら逃げるようにしよう。
昼食は1号線をフエの方に少し戻ったドンハの町の食堂。ここでの食事はツアー代には含まれず、各自で支払となる。さすがにツアーにも使われる所なので、英語のメニューがあった。僕はその中から一番安いフライドライス・エッグ(卵入り炒飯)と僕のベトナムでの定番ベトナムティーを注文。同席の写真屋さんや教授の方は、氷が心配らしく、缶のジュースを頼んでいる。確かにどのガイドブックにも生水と同じように氷にも気をつけるように書いてあるのだが、暑いベトナム、氷り無しでは喉が冷えないし、ベトナムティーも安いのでついつい頼んでしまう。幸い今までベトナムティーと氷でお腹を壊したことはありません。旅行中ずっと軽い下痢気味ではありますが。あとジュースを注文する時はビンにしたほうが安いですよ(缶は10000ドン、ビンは5000ドン)。
さて食事をしながらふと気になり、外からこの食堂をしげしげと眺める。思い出したと同席の皆に話す。一昨日ハノイからフエまでの夜行バスに乗った時、この食堂で休憩したと思う。食堂の横にある、網に囲まれた大きな鶏小屋のような物に見覚えが、間違いない。タダそれだけの話ではあったが。
ドンハの町を出ると1号線に別れを告げ、9号線をラオスの方角へと向かう。途中アメリカ軍が山中でも無線連絡が出来るようにと、山頂に巨大なアンテナを設置したロックパイル(山)を見学。今ではその面影も残っていない山ではあるが、高く険しいその山の山頂には、ヘリコプターでアンテナの資材を運んだそうだ。また、このあたりはベトナム戦争で一番の激戦地で、映画にもなった「ハンバーガーヒル」もこの近くらしい。
バスから降りて写真を撮っていると、関西弁の若い女の子が話しかけてきた。「おっちゃん、英語の説明わからへんかったわ、おせーてーな」。・・・なに「おっちゃん」やと・・・。と後では思ったが、その場は優しく説明してあげた。まあ、僕も半分くらいしか分かっていないけどね。でも「おっちゃん」はないやろ、「おにいさん」だろ。
※後日談、僕の嫁に言わせると、あんたは充分「おっちゃん」らしい。
ツアーはラオスの国境近くの少数民族の村にも訪れた。高床式の家屋が10数棟見渡せる。貧しそうな汚らしい格好の子供達が遊んでいる。確かに写真的には絵になる。僕はバスを降りたところでしばらく観察してから数枚シャッターを切った。遊んでいた少女が僕を見つけると、こちらに駆け寄って来た。その姿を再びカメラに納めた後、僕はまずい予感がしてファインダーから目を離した。案の定駆け寄ってきた少女はトンネルの時の少年と同じように「マネー・マネー」と言ってくる。おまけに勝手に僕の鞄を開けようとする。これには閉口した。お金が目当てなら、村への入場料を取るようにすれば、このような思いをしなくても済むと思うのだが。僕は一切払わないし、それ以降写真も撮っていない。同行の皆さんはどんどん村の中まで入っていって、写真やビデオを撮っている。お金を渡している様子も伺える。それが彼女らを助けることになるのだろうか。僕はなぜこのような場所を見学するのか分からない。
最後の訪問地、アメリカ軍最大規模のケサン基地跡。高台の平原は北への攻撃・物資輸送の最重要拠点であった。ここから多くのアメリカ兵が輸送ヘリに乗って戦場に送り込まれたのだろう。しかしアメリカは兵力ではなく6千人対3万人という人力で負けた。基地の近くには北から南へ物資を運んだと言われるホーチミンルートがある。この巨大な基地の近くを通り、南へと進んだベトナム軍は、まさしく頼もしい軍隊だったのだろう。
フエへの帰り道、何週間ぶりらしい雨が降ってきた。テト(旧正月)から、この5月までが一番暑く、雨が降らない。慣れないアメリカ軍は、68年のこの時期に一番激しい戦闘を行っている。高温多湿と言われる日本から来てもしんどいから、アメリカ兵はベトナム軍と共に暑さや湿気との戦いでもあったろう。こちらに来て初めての雨が、複雑な思いの今日のツアー、気持ちを切り替えさっぱりとしてくれそうだ。多分アメリカ兵もそう思ったであろう。
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